2009年05月19日(Tue)
山勘(やまかん)が外れた!とは・・?? [雑感・・・]
時は永禄四年九月・・
4回目の合戦となった川中島にて、
武田軍2万1千は海津城に
上杉軍1万3千は妻女山に
陣を構えていました・・・
武田軍の軍師、山本勘助は、
武田軍を二つに分け、一隊は妻女山を襲い、
上杉軍が下山してくるところを別隊で挟み撃ちする戦法
「きつつき戦法」を信玄に進言し、
その作戦が実行されたのです・・・
一方、妻女山から海津城を見下ろしていた上杉軍は、
煮炊きの煙の多さに、奇襲ありと察知し、
夜影にまぎれて妻女山を下り、
八幡原にて、数を減らした武田本隊と、直接対決となったのです・・
今回の写真は、あまりにも有名な、
「武田信玄と上杉謙信の一揆打ち」の銅像ですが、
数的には圧倒的に武田軍優勢・・
しかし、勘助の作戦を見破った上杉軍・・
その戦いは、戦国至上最大の死傷者を出す、大決戦となりました・・・
そして、武田軍の軍師、山本勘助は、この決戦にて討ち死・・
「山を張る!」「山を当てる!」などといった言葉で知られる【山勘】は・・
この山本勘助が語源と言い伝えられているのです・・・(ヘエ〜)
Posted by WA at 15時08分